LGBTQは罪ですか?
【質問】私は同性の子を恋愛対象として好意を抱いています。私のような性認識を持つことは、罪なのでしょうか?LGBTQ+ の人を神はどう見ているのでしょうか。
【私たちの答え】 LGBTQ+ とは、非常に多様な概念です。レズビアンやゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、性自認が決まっていない方、それ以外のセクシャリティーの方と、非常に多様な性意識を持つ人がいることがわかります。
まず神はすべての人を愛しています。あなたがどんな性認識を持っていても、あなたに対する神の愛は変わりません。あなたが LGBTQ+ だからと言って、神はあなたを拒むことは決してないのです。むしろ、神はあなたとの関係を回復させたいと切に願っています。
すべての人が罪人
むしろ人はすべて神から離れた存在です。神に背を向け、自分勝手な道へと進んでいます。たとえあなたが LGBTQ+ ではなくても、どこかでズレている部分、弱さや誘惑に遭いやすい分野を持っています。人の弱い部分を悪魔は攻撃して、人を罪へと誘惑するのです。
たとえば、怒りの感情が湧いたとき、自分を制することが難しい人がいたとします。その人は感情を上手に自制できず、怒りを爆発させることで、人を傷つけ、人間関係を破壊します。
いつも人の悪いところだけが目に入り、人を批判的にしか見れない傾向がある人もいます。いつも批判的な言葉、不平不満ばかり話していると人は離れていきます。
女性の身体の特定の部分に、特別に性的な魅力を感じる男性もいます。ただその欲望のままに生きると、痴漢や、相手の女性を傷つけることもあるのです。
男と女に創造された
「神は人をご自分のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。」(創世記1:27)
神は本来、人を男性と女性として造りました。そして神は男性と女性が結婚し、家庭を築くように制定しました。
「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」(創世記2:24)
神が定めた結婚の中で、男性と女性が性行為を行い、子どもが与えれます。子どもは夫と妻が築く家庭で成長することを、神が定めました。性的行為は、男女が結婚した家庭の中で行うときに、祝福されるのです。
同性同士の性行為は罪
性行為は、結婚している家庭内では大きな祝福です。結婚外での性行為は、男女の間でも、望まない妊娠や大きな傷をもたらすものです。
同時に、結婚した男女のために定められた性行為を、同性同士で行うことも、神を悲しませる「罪」です。聖書は一貫して、同性同士の性行為が罪であると警告しています(創世記19:1-13, レビ記18:22, ローマ1:26-27, 1コリント6:9)。
アイデンティティの変化
人は神に背いた結果、自分のアイデンティティがわからなくなりました。人が同性愛的な傾向になびくのは、神から離れた「罪」の影響です。
「彼らは神の真理を偽りと取り替え、造り主の代わりに、造られた物を拝み、これに仕えました。…こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡しました。すなわち、彼らのうちの女たちは自然な関係を自然に反するものに替え、同じように男たちも、女との自然な関係を捨てて、男同士で情欲に燃えました。男が男と恥ずべきことを行い、その誤りに対する当然の報いをその身に受けています。」ローマ1:25-27
同性に性的な魅力を感じることも、自分の性認識がわからなくなるのも、神から離れた結果でした。同性同士で性行為をするようになったのも、神に背を向けた結果です。人に罪の深刻さを気づかせるために、神はあえて人に罪にふけることを許したのです。
神から離れた結果
ただ聖書では同性同士の性行為が、他の罪より悪いとは言っていません。すべての罪は神への反逆で、神は同じように悲しみます。 同性同士の性行為は、1コリント6:9,10にある、人が神の国に入ることを妨げる多くの罪の一つに過ぎません。
「淫らな行いをする者、偶像を拝む者、姦淫をする者、男娼になる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒におぼれる者、そしる者、奪い取る者はみな、神の国を相続することはできません。」1コリント6:9,10
同時に聖書によれば、神のゆるしは姦淫(男女の不倫関係)、偶像崇拝、殺人、窃盗と同様に、同性同士の性行為を行う人にも与えられます。
「キリストはすべての人のために死なれました。それは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためです。」(2コリント5:15)
イエスの十字架と復活は、信じるすべての人に与えられる神の恵みです。神はまた、罪の衝動と誘惑と戦うすべての人に、罪に対抗する力を与えるお方です。
罪と対抗する力
人はそれぞれに弱さがあります。自分の弱さをよく自覚して、神と人の助けの中で、罪を犯さないように自制することが求められます。罪を犯さない力は、謙遜に神に助けを求めるときに与えられます。
例えば、怒りの感情をコントロールすることに弱さを感じる人は、素直に自分の弱さを認め、信頼できる信仰の仲間に祈ってもらうことができます。アンガーコントロールのセミナーで、怒りを上手に昇華する方法も役に立ちます。
人を批判的にしか見えない人は、物事の肯定的な側面を発見する視点が与えられるように、メンターやコーチに協力してもらうこともできます。
女性の身体の一部に特別な魅力を感じる男性は、その弱さに誘惑されていると感じるときに、同じバイブル・スタディのグループラインに連絡し、その場で祈ってもらうこともできます。また失敗したときも、素直に自分の葛藤を同性同士で分かち合うこともできます。
あなたが同性の魅力に特に敏感なとき、信頼できるクリスチャンの友人に相談して、祈ってもらってください。自分でも、霊的な呼吸をして、自制できるように祈りましょう。
たとえ失敗しても、諦めないでください。「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪をゆるし、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」(1ヨハネ1:9)
すぐに神に心に働いてくれるように祈りましょう。
「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(2コリント5:17)
少しずつかもしれませんが、神があなたのアイデンティティを回復させてくれます。イエスとともに、神の喜ばれるあなたに日々、造り変えられるように、心からお祈りいたします。
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